文化・歴史

白鬚神社

牛や馬の守護神もまつる珍しい神社で
境内には大きな牛と馬の像が鎮座しています。

浦島太郎の終焉の地としての伝説も残っているとか・・・。

春には一面に桜や桃などが咲き誇ったり
近くには滝(白鬚三池公園の滝・竜ヶ脇の滝)が流れていたりと
自然が多く残る神社となっています。

平田神社

トロントロン交差点を川南駅方面へ向かうと
立派な鳥居が見えてきます。

周囲には穏やかに流れる平田川と田んぼなどのどかな風景が広がっています。

ヤマトタケルノミコトが熊襲討伐の際にしばらく住まわれた山の方向へ向けて
神社を建てたと言われています。

またこのとき、ヤマトタケルノミコトが船を寄せ上陸したとされる川岸「歳の森」も
県指定の古墳として大切に守られています。

護国神社

太平洋戦争に突入した昭和16年に
川南町の唐瀬原地区に空挺落下傘部隊が創立されました。
戦時中にこの土地で訓練し戦地へ向かった兵たちの多くは
生きて戻ってくることはなかったそうです。

護国神社ではこの落下傘部隊の戦死者を合祀していて
毎年11月23日には部隊出身者やその親族などが集まって慰霊祭を行っています。

神社裏手には空挺落下傘部隊発祥の地の碑があり
国立宮崎病院の裏手には当時の部隊が使用していた給水塔が
今も当時のままの形で残されています。

甘漬神社

甘漬神社は神武天皇が東征の際に
この地で滞在された後自ら武運長久と国土の平定を祈られたといわれています。

そのため戦時中などは社殿北側から流れる湧水を使って家族の無事を祈願したそうです。

また橋の上から池を眺めるとハートに見えるところがあり
隠れた縁結びスポットとしても人気です。

川南古墳群

4世紀ごろから6世紀の終わりごろにかけて約300年かけて造られたといわれています。

川南町ののどかな田畑の中には
約60基の大小さまざまな古墳を見ることができ、
一番大きなものは112mあり小丸川流域の古墳の中では最大の前方後円墳となっています。

昭和36年に国の史跡に指定されました。

いまでも毎年夏の終わりに地域の方たちを中心に古墳祭が行われています。

宗麟原供養塔

この供養塔は天正6年に起こった高城合戦が
きっかけとなって建立されます。(大友氏と島津氏の戦い)

戦いに勝利した島津義久は高城城主の山田有信に命じて
この戦いで亡くなったすべての者を敵味方関係なく弔ったそうです。

また、この供養塔には六地蔵が刻まれていたため
明治に起こった廃仏毀釈の際には意図的に破壊されたという歴史もあります。

その後、大正時代に地元住民の手によって復活し
現在も11月12日には供養祭が執り行われています。

東来神社

東来神社には悲しいお話が伝えられています。
(お話はこちら)

そんなお話が残る東来神社をお参りすると
不思議とお乳がでるようになる、という話が広まり
終戦前ころまでは噂を聞きつけた人々が大分や鹿児島からも川南町までお参りに来たそうです。

現在も地元の人たちからは「乳神様」とよばれて親しまれ、大切にされています。